2011年3月30日水曜日

うわさ


東北地震の時、私はジムのサウナにいた。
もちろん裸で・・

避難経路を確保するために、とりあえずドアを開けて、一度はロッカールームに
行ったけど、揺れがおさまったら、すっかり身体が冷えてしまったので、
もう一度サウナに入った。

で、サウナの中でゆっくり考えた。
独りで家に帰ってもこわいから、ここにいる方が安全かな。
最悪ここで生き埋めになる瞬間には、とりあえずうつぶせになろう。
あおむけは、発見されたときに見苦しいから。

と、かなり真面目に考えてたけど、やっぱり着替えて、家に帰ろうと思いなおした。

先日ジムに行ったら、「あっちゃん、最後までサウナにいたって有名な話だよ。」
と言われた。
あの時、サウナにいたのは私だけじゃなかったのに・・

すっかり私だけが残ったかのような話になってる。
「あつこが、う○こ 踏んだネタ」の後は「のうてんきなあつこネタ」

大学の時、建築学科は200人中女性が15人しかいなかったせいもあって、
入学してすぐは「姫」と呼ばれていたのに、
卒業するころには「猿」にかわっていた。

いつから私のキャラは「おわらい」に転じたのだろう・・

2011年3月28日月曜日

岐路

先日、復興応援番組をたまたま見た。
その中でさだまさしが歌ってた「主人公」という曲に、
「時をさかのぼる切符があれば欲しくなる時がある
あそこの分かれ道で選べなおせるならって・・」
という歌詩があった。

選んだ路を間違っていたとは思わないけど、
タイムマシンがあるなら
高校3年生の夏やすみに戻りたい。
2日間だけでいい。

流山の長男の家にいたおばあちゃんが、
遊びに来たその日は
高校3年生の私は受験のため、一週間の夏期講習に出かける日だった。
泊まり込みの合宿で、友人と午後に待ち合わせをしていた。
おばあちゃんは、受験勉強する私を気遣い、
大好きなかぼちゃスープを昼食に作ってくれた。

玄関で私を送る時、
なんだかとってもさみしそうな顔をしていた。
後ろ髪をひかれる思いだったけど、待ち合わせの時間に遅れるから、
行ってきますと家を出た。

おばあちゃんに会ったのはそれが最後だった。
その年の12月に心筋梗塞で亡くなった。

私は翌年の受験にはみごとに全敗し、結局、浪人することになった。

こんなことなら、夏期講習なんか一日くらいさぼって
おばあちゃんと一緒にいればよかった・・

受験に受かろうが落ちようが、たった一日なんてどうにでもなったはずだ。
高校の授業なんてしょっちゅうサボってた私が
なぜあの時、サボらなかったのかと、ずっとずっと後悔している。

あそこで選べなおせるなら・・

2011年3月24日木曜日

みんなで食べるごはん


震災後・・計画停電とか、余震もあるので仕事の打ち合わせとか
やんごとなき事柄がある以外は遠出を避けている。

・・ということで、外食は激減。

そのかわり?に、ジム友のおうちで夕食をごちそうになることが増えた。

こないだは、ハンバーグと海老フライと肉じゃが。
先日は、筑前煮とマカロニサラダと餃子。

すばらしく栄養価の高い食事。

友人の娘も息子も一緒。
ついでにネコも一緒。
みんなで食べるとおいしいねー(●^o^●)


2011年3月22日火曜日

生還!

ニュースで80歳のおばあちゃんと16歳の青年が助かったと。

寒さの中、10日間よく耐えたと思う。
救護にあたった人達も嬉しかっただろうな・・

生死の分かれ目は、キッチン近くにいたことだと報道されていたけど、
何よりも2人の精神力の賜物だと思う。

岩手出身の私の友人達も家族と連絡がついたと聞いた。・・よかった・・

まだまだ被災地の復興には時間もかかると思うけど、
明るいニュースには気持ちが救われる。


2011年3月17日木曜日

ながい一週間

地震が起きて、一週間。

こんなにながいながい一週間があったかな。
それに、こんなにTVを見続けた一週間もなかったと思う。

地震、津波、余震、原発、停電・・次から次へと災害が起きる。

災害地は寒波にもみまわれ、神も仏もない。

人が不運にみまわれた時、心理学的には対処の仕方は大きく3種類に分かれるらしい。
①積極的に問題に相対して解決していこうとする人
②臭いものには蓋をして見て見ぬふりをする人
③病気になったり鬱になったりと悲劇のヒロインになってしまう人

①が理想的でしょうけど、私の場合はどうなのかなあと考えた。
他人からみれば強気でまさに①の代表のように思われそうだけど、
本当のところ、情けないが、どうも③のような気がする。

だめだこりゃ。

2011年3月15日火曜日

たいへんだ

地震・・みんな大丈夫でしたか・・?

地震そのものもこわいけど、そのあとの津波、余震、停電・・2次災害の方が恐ろしいと
つくづく感じています。

東京は大した被害はなかったものの、
近くのスーパーはおそろしく混み合ってるし交通網も混乱。計画停電にもふりまわされ・・

東北で被災して非難した小学生が、「今までどんなに幸せな生活をしていたかがわかりました。」
と言っているのをTVで見ました。

本当にそうだな・・と。

普通に家族がいて、水も電気も、食べるのにも困らない生活がどんなに恵まれた日常なのかと。

多少の不便に文句なんか言ってられないよね。

岩手出身の友人はいまだにお母さんと連絡がとれていないとか・・
きっと夜も眠れないでいると思う。

ひとごとじゃない。

もし自分の母親が・・と思うと・・

どうかご無事でありますように・・

2011年3月9日水曜日

双子だーね

道を歩いていて、縁石につっかかって転んだ。

けっこうハデに。

Gパンは破れ、膝に穴があいちゃった(+_+)
今は膿んでぐちゃぐちゃ。

先日妹からメールが来て、同じころ、妹もハデに転び、
両膝、右腕をケガしたらしい。
同じく縁石に蹴つまずいて・・

私達は二卵性の双子なので見た目は似てないけど、
どーもやることは似てるらしい。

二人とも中学からスポーツをやり続け、結果
腰を痛めた。
同時期に、母も走ることにはまり、練習しすぎて、腰を悪くし、三人一緒に整形外科に行った時のこと・・
「やっぱり遺伝でしょうか、腰が悪いのは・・」と医者に聞くと、
「いいえ、骨の遺伝ではなくて、めちゃくちゃ酷使する、その性格が遺伝です。」と言われた。

三人で「・・納得。」


2011年3月7日月曜日

ぢぐじょー(-"-)


表参道Women's Run 10キロレース

50分切を目指したのに、練習不足とスタミナ不足で
6キロくらいのところで失速・・

結果、50分13秒だった。

ぢぐじょー・・ぐやじー

前日、ベスト体重より2キロ減ってたから、あわててパスタ大盛り食べたけど、
遅かった。

走るのも痩せてりゃいいってもんじゃない。
スタミナ不足を痛感。

天気は寒くもなく暑くもなく、ベストコンディションだったのに・・

絶対切れると思ったのにぃ。
次は絶対がんばるっ!!

2011年3月5日土曜日

感謝・・感謝の一言です


ジム友達のおばさまがお赤飯を炊いて持ってきてくれた。

いろんな意味でがんばりなさいとエールのお手紙と一緒に。

今年の3月は私にとってre start の月。
不安もあるけど、地に足付けてがんばろーと。

うん!!がんばる!!

遠くの母より世田谷の母。

うるうるる・・泣泣泣・・・

2011年3月1日火曜日

始まった

花粉が飛び始めたみたい。

目も顔もかゆいし、くしゃみは3連発。

やっと暖かくなる、いい季節なのに、毎年ゆううつ・・
今年は去年の8倍の花粉量だとか(+_+)

パラオから帰って来たばかりですがー・・もうどこかへ避難したい気分だーよぉ。